
契約書等で時期的に急いで履行してほしい義務等を定めるときに、「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」といった語句が使用されます。これらの語句の「はやさ」の順序としては、本コラムの執筆者は、「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」の順序(一番はやいのが「直ちに」で、一番はやくないのが「遅滞なく」)と従前より理解しておりました(今もその感覚です)。日本語の語感としても、「遅滞なく」は遅れていないだけで、「はやい」とは必ずしも限らないように思われるため、この順序がしっくり来るように個人的には感じています。ところが、いくつかの文献では、はやい順に「直ちに」「遅滞なく」「速やかに」としているものも見受けられます。両説とも「直ちに」が一番はやいことに違いはないのですが、では、「速やかに」と「遅滞なく」ではいずれがより「はやい」のでしょうか。
この点に関しては、元内閣法制局長官の林修三氏が執筆された『法令用語の常識』(日本評論社、1958年)30頁では、『「直ちに」、「遅滞なく」、「すみやかに」』との表題の下で、以下のような説明がなされていました。(同書では「すみやかに」との表記ですが、便宜上以下では「速やかに」と表記しています。また、以下はあくまで私の理解したところによるまとめですので、興味のある方は名著の誉れ高い原典をご確認ください。)
①「直ちに」、「遅滞なく」、「速やかに」の中では「直ちに」が一番がはやい。
②「速やかに」はできるだけはやくという意味だが、(法令では)訓示的な意味に使われること多く、これに対する違反が直ちに違法とはならない場合に使われることが多い。他方で、「直ちに」と「遅滞なく」は、その違反が違法問題にまで進む場合が多い。
③裁判例(大阪高判昭和37年12月10日)では、「速やかに」と「遅滞なく」では「速やかに」の方がはやいとしてる。
同書は、表題の語句の記載順序や①②の説明からは、はやい順に「直ちに」「遅滞なく」「速やかに」としているようにも見えます。もっとも、③で記載の通り、同書は「速やかに」の方が「遅滞なく」よりはやいとする裁判例もあわせて紹介しているため、少なくとも、同書が「遅滞なく」の方が「速やかに」よりもはやいとする立場を明確に取っているとまでは言えないようにも思われます。
上記『法令用語の常識』については、後継本として元衆議院法制局参事の吉田利宏氏による『新法令用語の常識』が刊行されています。当該新版によれば、「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」は、
『急いでいる順でいえば、「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」となるでしょう』
としています(吉田利宏『新法令用語の常識 第2版』(日本評論社、2022年)37頁)。この吉田氏の新版の記載が、林氏の旧版の記載を変更する趣旨か補足する趣旨かは明確ではありませんが、吉田氏の新版が、「速やかに」が「遅滞なく」よりはやいとしていることは明確と言えるでしょう。(なお、吉田氏による新版でも、「速やかに」は基本的に訓示的な意味合いがあるとしており、この点は、林氏による旧版と同じニュアンスです。また、私見にはなりますが、これはあくまで「速やかに」が法令にて使用される場合の話であって、契約書の条項の文言として使用される場合は、当然に訓示的な意味合いになるということはないのではないかと考えます。)
以上からは、個人的には、やはり「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」の順ではやいと考えたいところですが、「遅滞なく」の方が「速やかに」よりはやいと考える弁護士や企業の法務担当の方も多くいらっしゃるように思われます。よって、例えば、自社契約書雛形で「直ちに」としていた箇所につき、契約相手方より「速やかに」に修正するコメントが呈示されたような場合は、必ずしも「直ちに」との文言には拘らない方針のときであっても、当該契約条項の重要性によっては、当事者間で理解に齟齬が生じないように「概ね●営業日以内を目安とする」といった文言をカッコ書き等で付記しておくことも有益と思われます。
なお、(以下は余談かつややマニアックな話になりますが、)私が過去に従事していた金融商品取引業の世界においても、特に業者を規制する業法(金融商品取引法)において、「直ちに」「速やかに」「遅滞なく」は使用されています。当該文脈においては、監督官庁である金融庁による同法制定時の政省令のパブコメ回答で、『「速やか」との用語は、「直ちに」ほどではないものの「遅滞なく」よりも早い場合を指します』とされており(平成19年7月31日付金融庁「コメントの概要及びコメントに対する金融庁の考え方」#213)、「速やかに」が「遅滞なく」よりはやいとする考え方が金融当局によっても取られているようです。